2025年7月24日、アメリカのプロレス界を象徴するスーパースター、ハルク・ホーガン氏が逝去しました。享年71歳。世界中のプロレスファンがその死を悼む中、日本では一つの名勝負が再び脚光を浴びています。それが、アントニオ猪木との1983年「IWGP決勝戦」での対戦、通称“舌出し失神事件”です。
本記事では、ホーガンの輝かしいキャリアと、あの伝説の試合の真相を徹底解説していきます。
ハルク・ホーガンとは?
アメリカンプロレスの象徴的存在
ハルク・ホーガン(本名:テリー・ジーン・ボレア)は、1953年8月11日生まれ。1980年代から90年代にかけてWWE(旧WWF)のトップレスラーとして活躍し、“アメリカンヒーロー”の代名詞ともいえる存在でした。金髪のロングヘアと口ヒゲ、タンクトップを破り捨てるパフォーマンス、そして「Whatcha gonna do, brother!?」の決めセリフで世界中のファンを魅了しました。

亡くなったハルク・ホーガンさん
WWE黄金期を支えたスーパースター
ホーガンは“レッスルマニア”という世界最大のプロレスイベントを大成功へ導いた立役者。アンドレ・ザ・ジャイアントとの名勝負、リアリティ番組『Hogan Knows Best』の出演など、エンターテインメントの中心でも存在感を放ち続けました。
また、日本のプロレス団体「新日本プロレス」にも数多く参戦しており、日本のファンからも絶大な人気を誇っていました。
訃報に揺れるプロレス界
2025年7月24日、フロリダ州で急逝
ホーガンはフロリダ州クリアウォーターの自宅で心臓発作を起こし、そのまま帰らぬ人となりました。救急搬送されましたが、病院で死亡が確認されました。訃報が伝えられると、プロレス界をはじめ、スポーツやエンタメ業界全体が大きな悲しみに包まれました。
海外・日本メディアの反応と追悼の声
米「Variety」「NBC」などがいち早く報道し、日本でも「amass」や「文春オンライン」が追随。X(旧Twitter)では「#RIPHogan」「プロレスの神がまた一人旅立った」といったハッシュタグがトレンド入り。世代を超えて愛された証しとして、世界中から追悼の声が寄せられています。
アントニオ猪木との「伝説の対戦」
1983年IWGP決勝|舌出し失神事件の全貌
ホーガンと猪木の対戦で最も有名なのは、1983年6月2日に行われた「第1回IWGPリーグ戦決勝」です。通常、新日本プロレス主催の大会であれば、主催者でもある猪木が勝つ流れが通例でした。
しかしこの試合では、ホーガンの強烈なアックスボンバー(ラリアット)が猪木の頭部に直撃。猪木は舌を出したまま意識を失い、緊急搬送されました。この衝撃的なシーンは「猪木舌出し失神事件」として語り継がれ、今でもプロレス史のターニングポイントとして知られています。
出典元:NJPW WORLD「1983年6月2日 アントニオ猪木 VS ハルク・ホーガン」より
https://njpwworld.com/
事故か演出か?いまだ議論される“真相”
この失神が本当に“事故”だったのか、それともプロレスならではの演出(アングル)だったのかは、今なお謎に包まれています。猪木氏の弟・猪木啓介さんをはじめ、関係者の証言も割れており、「真偽不明」のままです。
しかしこの“事件”があったからこそ、ホーガンと猪木の一戦は単なる勝敗を超えた“伝説”として定着したともいえます。

出典:Number Web「なぜあの一撃で猪木は倒れたのか? “舌出し失神事件”の真相を追う」
(文春オンライン・Number|2021年6月2日公開)
https://number.bunshun.jp/articles/-/865020?page=1
ホーガン×猪木の関係性とリスペクト
ホーガンと猪木は1980年11月にも対戦しており、その際は猪木が勝利。国を超えた名勝負数え歌として、多くのファンの心を掴みました。ホーガンは引退後も日本のファンに対して感謝の言葉を送り続けており、日米プロレスの橋渡し役として、互いにリスペクトしあう関係でした。

まとめ|ホーガンの死が蘇らせた“伝説”
ハルク・ホーガンの死去は、プロレス界にとって一つの時代の終焉を意味します。しかし、彼が遺した数々の名試合、そしてアントニオ猪木との伝説の対戦は、これからも語り継がれることでしょう。
あの日の“舌出し事件”が象徴するのは、勝敗を超えた真剣勝負の重みと、命を賭けたプロレスの迫力です。
ホーガンの冥福を祈ると同時に、もう一度、あの試合の意味を噛みしめる時が来たのかもしれません。